2023年に、第一子を37週0日で出産。
経過は順調でしたが、安定期で私自身が体調を崩したことに加えて、子供の体重の伸びが悪くなりFGR(胎児発育不全)の診断を受けました。
2040gで自然分娩となりました。
現在はすくすく元気いっぱいに、毎日を過ごしています。
ママのプロフィール
出産時期 | 2023年3月 |
出産当時の年齢 | 29歳 |
妊娠期間 | 37週0日 |
少し小さい赤ちゃんを出産した原因 | 胎盤に血栓が飛んでいた |
出産病院種別 | 大学病院 |
単胎or多胎 | 単胎 |
分娩方法 | 経膣分娩 |
分娩所要時間 | 4時間 |
お子様のプロフィール
現在の年齢 | 0歳9ヶ月 |
性別 | 女 |
出生順位 | 第一子 |
出生体重 | 2040g |
出生身長 | 45.5cm |
出生時の主な異常 | なし |
NICU/GCU入院 | あり |
NICU/GCU入院期間 | 20日間 |
退院時の赤ちゃんの状態 | 2300gを超えてNICU卒業。産科で2泊3日の育児指導入院を経て退院。直母の飲みむら(10ml〜80ml)あり |
退院後の栄養方法 | 混合栄養→生後3ヶ月までは母乳&粉ミルクの混合栄養。その後哺乳瓶拒否になり完全母乳 |
現在の主な異常 | なし |
出産体験記
内服治療をしながら、不安だらけの妊娠期間
血栓ができやすいリスクがあり、初期からパイアスピリンを33週7日まで内服していました。
妊娠初期は経過も良く、発達曲線の真ん中を行っていました。
ただ、私には持病があり、妊娠を機に持病が悪化。
体調を崩し、突然内服治療が始まりましたが、子供の成⻑が順調なのが救いでした。
33週の頃にお腹周りの成⻑が発達曲線から外れ、「大丈夫そう」とは言われたものの、
毎日胎動があるかどうか心配で仕方がない日々でした。
誘発分娩をする予定に…
臨月になってもお腹は大きくならず、服装によっては妊婦と気付かれませんでした。
出産までは、旦那と美味しいご飯を食べたりのんびり過ごしたりしていましたが、36週5日目の夕方に突然茶色のおりものが。
病院へ電話すると「出血でなければ様子見で」と言われましたが、翌日に親指大のレバー状の出血があったため病院を受診。
エコーで子供の血流が悪くなっていることが判明しました。
それまでは自然分娩待ちだったのですが、このまま予定日を待つよりは38週で出産した方がいいとのことで、2週間後に誘発分娩する計画が立ちました。
突然の陣痛からのスピード出産
病院からの帰宅途中から弱い腰痛が始まりました。
その日の夜は、寝られるものの定期的な腰痛が。
「陣痛はもっと痛いはず」と思いつつも、痛みでちょこちょこ目覚めてしまいました。
翌日、朝ごはんはたくさん食べられたものの、徐々に強くなる腰の痛み。
「1時間に6回痛みがきたら病院に来て」との事でしたが、
「本当にこれでいいの?陣痛ならもっと痛いはず、初産だしまだ早いよなぁ・・・」
などと変な思考になり、1時間に6回の痛みがきていたのに2時間ほど自宅で過ごし、その後片道1時間かけて車で病院へ向かいました。
車中では5分間隔の痛みに。
運転している旦那の焦りも伝わってきました。
14時過ぎに病院に到着したこともあり、夜には生まれるよとの事で旦那もドタバタと入院手続きをしました。
その頃には陣痛は3分間隔、子宮口は5〜6cm。
大学病院のため、外来と入院病棟はかなり離れた場所にありましたが、私は歩くこともできず車椅子で病棟にあがり待機室へ。
ベッドに横になった瞬間にこれまでとは比べ物にならない痛みを感じて急にお産が進み、あれよあれよと分娩台へ。
途中子供の心拍が落ちましたがすぐに回復してくれました。
後からの説明では首に臍の緒が巻き付いていたみたいでした。
出血量は多かったものの、15:57に元気な産声で出生。
体重が2040gとの事で、旦那も私も一目見ただけで、子供はすぐにNICUへ行きました。
無事に生まれた達成感と高揚感を抱き旦那とは穏やかに過ごしたものの、1人になった途端に寂しさと心配で泣きながら夜ご飯を食べました。
産後、胎盤は病理検査に出され、主治医からは血栓が胎盤に飛んでいて半分ほどしか胎盤が機能していなかったこと、その血栓がいつできていたのかはわからないとの説明を受けました。
「小さく生まれたけれども自分でタイミングを見つけて生まれてきた親孝行なお子さんですね」と説明を受け、声を上げて泣きました。
赤ちゃんが入院中のママの体験談
寂しさと申し訳なさ
入院中は、小さく生んでしまったことや、旦那が面会もできない申し訳なさを感じていました。
他の方は母子同室なのに私は1人。
寂しさもあり部屋ではずっと泣いていました。
母乳も出ず、焦るばかり。
面会時間以外は搾乳機と仲良しでした。
周りから優しい声をかけられても、自分を責められている気持ちになりました。
そして何よりも、子供を残して退院することが一番しんどかったです。
私の退院後は子供と毎日会えないため、家では泣くか食べるか寝るか搾乳。
旦那が休みの日に病院に連れて行ってもらい、私だけが面会。
片道1時間の運転なのに旦那は会えない。
それすら申し訳なくて仕方なかったです。
NICUのスタッフさんの優しさ
NICUのスタッフさんはとても親身になってくれて、子供にミルクをあげている姿や触れ合っている姿の動画や写真をたくさん撮ってくださりました。
私の退院後にも動画や写真を送ってくれて、多い時には1日に2〜3通メッセージが届き、泣きながら見ていました。
今でもスクリーンショットで大切に保管しています。
育児中の体験談
体重が増えない
直母の飲みむらがあり、ベビースケールのレンタルを勧められたので自宅にはベビースケールがありました。
混合育児でしたが体重の伸びが良く、助産師さんからは完母を提案されました。
ちょうど乳腺炎になり、頻回授乳をしているうちに哺乳瓶拒否になったことをきっかけに完母に切り替えたものの、体重の増えが悪くなる日々。
授乳前後で必ずベビースケールで体重を確認していました。
授乳前後で体重の増えが少ないと、ひたすらに頭を抱えていました。
ベビースケールはメンタ ルにくるので、あまりお勧めしません。笑
可愛くて愛おしい姿
子供が可愛くて仕方がなく、それが私の心の支えになりました。
一緒に過ごせる日々が幸せで仕方がなかったです。
5〜6ヶ月あたりから生活リズムもついてきたこともあり、それまで引きこもりの日々でしたが、子供と出かけることもできるようになりました。
子どもの成長・発達に関する情報
生後3ヶ月:母乳を飲まないことと、便秘に悩む日々
体重 | 4452g |
身長 | 56.7cm |
栄養方法 | 完全母乳 |
退院後すぐに始まった子供との生活には不安だらけ。
たった2泊3日の同室入院で自信がつくわけもなく、わからないことばかりでどうすればいいのかと、毎日が不安で泣いていました。
加えて体重の伸びが悪く、助産師さんからは「もっと飲ませてください」と言われました。
しかし、本人も飲まないし無理に飲ませても吐く日々。
さらに便秘で週に2回しか出ないことも。
3ヶ月検診では股関節の硬さを指摘されて整形外来を受診。
問題なく経過観察でしたが、そり返りも強くて毎日ベビーマッサージをしていました。
当時、出かける気力もなく引きこもっていた私には、産後ケア事業で助産師さんがきてくれることが唯一の楽しみでした。
生後 7ヶ月:周りと比較して心配するのではなく、子供なりの特性だと思えるように
体重 | 6400g |
身長 | 63.2cm |
栄養方法 | 1回食と母乳 |
首すわりが5ヶ月と遅かったことが不安でしたが、その後はすくすくと成長。
離乳食は全然食べずに悩む日々でした。
あまりにも悩み、専門家にも相談。
それでも、生活リズムがついて生活の見通しが立つようになり、お出かけしやすくなりました。
また、あやしてもあまり笑わないことも心配でしたが、元気に過ごしている姿を見て安心していました。
何か心配なことがあると、やはり小さく生まれたから?という気持ちがよぎっていました
が、「その子なりの特性」という事に少しずつ気づくことができ、無意識に周りと比較しては心配していたことをやめることができるようになりました。
生後9ヶ月:お友達もでき、充実した毎日
体重 | 7000g |
身長 | 68cm |
栄養方法 | 二回食、母乳 |
後追いを始めて、ハイハイで追いかけてくる姿が愛おしくて仕方がないです。
あやすと笑い、笑うと微笑み返してくれる。幸せがいっぱいです。
支援センターにも通い始め、同じ月齢の子とお友達になるなど毎日がとても充実しています。
アレルギーもなく順調に過ごせています。
お座りをまだしないことが不安ではありますが、「まあいつかするだろう」と、どしっと構えて成長を見守ることができています。
今振り返れば、産後すぐの頃は「育児書通りの発達でないとおかしいのでは?」と不安が強くなっていたのだと思います。
お子さんへのメッセージ
パパとママを選んで生まれてきてくれてありがとう。沢山の幸せをありがとう。
あなたと一緒に過ごせて本当に幸せです。大好きだよ。
あれこれと心配ばかりするパパママだけど、あなたがこれからも元気で過ごせることが一番の望みです。
少し小さい赤ちゃんを生んだママへ、一言メッセージ
とにかく周りが羨ましく思えて、自分を責めてしまうこともあると思います。
このように体験談等を読むことである程度の指標になったりするので、私は心も軽くなりました。
あなたは何も悪くありません。子供さんも、一生懸命生きています。
色々悩むこともあると思います。思い詰めることも。。
でも、目の前の大切な命が生きていること、それが一番大事なことです。
少しでも、励みになれたら幸いです。